Rintaro Hara+Yu Hara | Works

ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-

ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-
ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-
ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-
ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-
ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-
ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-
ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-
  • ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-(原倫太郎+原游 with WiCAN)
  • 2015
  • スクリーン、モーター、OHPシート、ハロゲンライト、懐中電灯
  • 千葉市美術館プロジェクトルーム/千葉

影は遥昔から現在に至るまで人々の関心事であり続けてきました。物語の中では影を無くしたり、敵として戦う相手であったり、あるいは影と実態が入れ替わったりと様々な形で語られてきました。大昔から影は人や岩や木にぴったりと寄り添っていました。写真や絵や鏡などのもうひとつの世界を映し出す装置がない時にも影は存在していました。大昔の人は影を見てもうひとつの世界を想像したのではないでしょうか。私たちは、影とは世界がひとつではないという確たる証拠であると考えます。
「ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-」の「うつす」という言葉には、「写す/映す/移す」という3つの意味を内包しています。千葉の人々や風景、物などを写真に写す。そしてそれらのイメージに光を当てることでスクリーンに映像として映す(つまり、写しの映しです)。また、スクリーンの形態は、千葉の代表的な風景である団地の間取りをイメージすることで、場所を移すという意味も込められています。 そして「ファンタスマゴリア-千葉をうつす影-」の中では、観賞者自らが光源(主人公)となり、影(うつしの千葉)を探求します。照らしによって過去から現在までの千葉や、千葉の人々を知ることが出来るのではないでしょうか。 物語の中で鏡の中を通り抜けて違う世界に行くように、影の世界に入って行き、影の影を照らしたり、言葉の影を読んだりすることがとても有効なのではないかと信じています。

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