Yu Hara | Works
rain barrel
- 展覧会:原游 "rain barrel"
- 開催期間:2010年8月20日〜2012年9月18日
- 会場:LA GALERIE DES NAKAMURA/ 東京
アメリカ北西部では、レイン・バレル(雨樽)を外に出しておいて雨水をため、
庭に散布したり、髪を洗ったりするのに使ったりすると本で読んだ。
空から様々なものを映し出しながら落下してきた水の粒がレイン・バレルの中にたまっていく。
「私」とレイン・バレルは似ているように思う。
俯瞰して見ると、世界は様々な意味を持つレイヤーが重なったり離れたりを繰り返す状態にある。
水素と酸素が結びついて水になったり、様々なものが重なり合って地層が作られる。
近づいてみると「私」もまた、過去に見たり聞いたりしたことと、現在「私」を取り巻く風景が重なり合い、何かを思い、忘れる。
私たちはたえず何かを見て何かを思い、聞いて何かを思い出しという繰り返しによって「私」というものがあるように感じている。
絵の中には、数々のイメージが散らばっていて、一瞬、集まって、子供の形を描くが、散逸する。
そして、その形作られた子供を、より遠くから見てみると、それは小さな固定したかのようにみえる子供のイメージとなり、
もっと大きな別の形のものの1パーツになっているかもしれない。
世界の中に私がいると同時に、「私」の中に世界がいると感じられる。
過去に見たり聞いたりしたものと、現在「私」を取り巻く風景が
何重にも映し出され、また消え、映し出されと繰り返される心象が「私」であるならば、
「私」の中には色々なものを映し出す泉があると考えてみる。その泉は過去も現在も映し出すことができる。
「私」の中に泉があるのであれば、外のものの中にも泉はある。
「私」と何かが向き合ったときに、つまり泉と泉が向き合い、互いに写し合うことになり、揺らぎをともないながら無限に反射を続けることになる。
そのような状態が私にとっての常であるとするならば、そのなかで何かを求めようとすることは、屈折し、反射を繰り返す像の後を追って、
一緒に螺旋を描きながらくるくると回り続けるようなものである。